JIBUNマガジン 文京区

2021年01月号 vol.66

指ケ谷はさすがやなのになぜさしがやの怪

2021年01月17日 20:54 by Takako-Oikawa

 学芸会や発表会で指ケ谷小学校の児童が出演すると、「さすがや小学校、さすがやー」とダジャレを飛ばすのが定番だとか。そう。指ケ谷は「さすがや」と読む。町会も指ケ谷(さすがや)町会。だけどなぜか、保育園だけは「さしがや保育園」。しかもひらがなだ。

 指ケ谷は古くから町名に使われ、本郷台地と白山台地の間、つまり現在の白山通りという「谷」の両側に位置する。クイーンズ伊勢丹やオリンピックのあるあたりから、白山下交差点の間あたりだ。江戸時代前期の仮名草子「紫の一本(むらさきのひともと)」を読み解けば、徳川家光公がこの地域に鷹狩りに来た際、「あの谷」と指さしたことから「指ケ谷」と名付けられたらしい。「家光公は『あそこは栄えるだろう』と指さしたからだと伝わっています」と、指ケ谷町会会長の豊島弘江さんは言う。

 白山通りの東側には明治時代、花街があり、近所に暮らしていた樋口一葉が「にごりえ」の中で花街の様子を描いている。大正時代には、料亭や置屋が100軒以上並び、300人以上の芸妓がいたという。戦後廃れたが、今でも元料亭や狭い路地が残っており、80代の元芸者さんも健在だ。

(元花街だったところには元料亭の古い建物が今も残る)

文京もちもちのイベントより)

 白山通りを挟んだ反対の西側は台地で、住宅街が広がる。指ケ谷小学校前の坂は、昔伊賀者の同心衆の組屋敷があったとか真田伊賀守屋敷があったとか言われ、「伊賀坂」と呼ばれている。その坂を上った先に、さしがや保育園はある。戦時中の1944年(昭和19年)1月に開園した。

 豊島さんは「この間も地元の古い方とその話題になったんですけど、はっきりわからないんです」と言う。「読み違いじゃないの、とか言われていますけど」と言葉を濁す。町会は大正9年にできており、町名の由来も伝わっているが、さしがや保育園の名前問題は伝わっていないそうだ。ひょっとしたらお役人がうっかり間違えたのか、と考えられなくもないが、戦時中のことゆえ、真相は闇の中のようだ。(敬)

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