JIBUNマガジン 文京区

2021年12月号 vol.77

まちをなおす/本郷の築100年の木造家屋を修理して住まう大工さん/きよたけ建築工房の真銅丈昇さん、恭子さん

2021年12月16日 09:54 by Takako-Oikawa

菊坂のある谷と本郷台地を結ぶ急峻な鐙(あぶみ)坂。この坂を上っている途中、左手の細い路地を見ると、石段を下った奥になわとびを持った少女が笑いながら立っていた。そして次の瞬間、ふっと消えた。突き当りに木造3階建ての古い家がたたずみ、路地は曲がっているようだ。

さらに上がると門がついている狭い路地があり、木造の古い長屋が並ぶ。100年前にタイムスリップしたような空間。それが本郷4丁目、金田一京助・晴彦父子や樋口一葉の住居跡がある一角だ。

「大正時代に建てられ、築100年ぐらいにはなるそうです」と、大工の真銅丈昇さんは言う。長屋の1軒を2015年に購入し、自力で改修。子どもと妻恭子さんと暮らす自宅兼事務所にととのえた。ここで主に恭子さんが建築設計を、丈昇さんが施工を手掛ける「きよたけ建築工房」を営む。

崖地に建ち、権利関係が複雑な不思議な長屋だ。だがそのおかげで開発を免れたようだ。いろんな人の手を経て、真銅さんの手に渡ったとき、なぜか壁も畳もすべて白いペンキで塗られた「真っ白でホラーのような」家だった。風呂もないので、当時妊婦だった恭子さんは西片の富士見湯(閉店)まで通ったという。真銅さんは壊れた屋根を直し、ペンキを削ってはがし、キッチンを作り、風呂を作り、1階を作業場として使えるようにし、2年ぐらいかけて直した。大工としての知識と経験がなせる業だ。

真銅さんは中学卒業後、縁あって福島県の建材会社の社長の紹介で大工修行を6年ぐらいした。親方の指示で、一日中、「舟」と呼ばれる容器でひたすらコンクリートを練るだけの仕事をしていた時期もあった。小さな祠に「こんな生活から抜けられますように」と祈ったものだ。それでも辞めずに続いたのは「好きじゃなかった。けど、嫌いじゃなかったから」。大工になりたいと思ってなったわけではなく、大工に思い入れもなかった。「だから続いたんじゃないかと思う。やりたいこと、ではなく、できること、だったので」。手先は器用で体力もあった。「大工が向いていたんでしょうね」

小さな工務店だったが親方は宮大工で、土木や設備など様々な部門があり、住宅から寺社建築、土木などいろんな経験ができた。5年ぐらいで年季が明け、職人として認められるようになり、給料も上がった。ところが、仕事が減ってきた。また、手作業で木材をカットしていたのが、機械加工でカットされた木材を使うようになった。「このまま大工をやっていても面白くない。辞めよう」と21歳ぐらいで退職。

その後札幌に行き、「勉強しよう。高校に行こう」と思い立ち、引っ越し屋のアルバイトをしながら、工業高校の定時制に通い、建築科を卒業。「人生設計なし。その場でしか考えてない」。26歳で北海道を自転車で一周したとき、環境問題に目覚めた。「勉強しよう。大学に行こう」。環境を良くするには、システムを変えるしかない。「それなら経済、経営だ」と、東京に戻り、大学の経営学部の夜間部に通った。小型風力発電のベンチャー企業に携わり、今度は「建築学を学ばないと」と思い至る。大学卒業後、33歳で早稲田大学芸術学校建築科に入った。そこで出会ったのが恭子さんだった。

恭子さんはメガバンクや外資系銀行に勤め海外勤務経験もある。建築一家に育ち建築は好きだったので、学びなおそうと芸術学校に通っていた。大工の腕があり、経営学と建築学を学んだ丈昇さんと組んで建築業へ転身した。

2018年には多摩地区の山を買って木工場に。「木材を加工するのに音を出してもよい土場が欲しかった」という。千本もの木があるので、林業関連のセミナーにも通ったが、「林業は大変だという現実を知った」。林業の課題を知り、建築業との組み合わせでできることはないかと考えるようになり、山の知り合いが増えた。恭子さんは准木材コーディネーターの資格を取り、人脈もできて、知り合いの山の木で家を建てることもあり、家づくりとは何か、エネルギーや木の使い方についても学ぶ機会になった。

いまは「ひと昔前の大工」的に仕事をこなす。大きくはしない。かつて大工と客の距離が近かったように、シンプルにやりたいという。「洗濯物を干すとき、お隣さんと会話するとか、いまは失われたけど、ちょっと前にあった生活を取り戻したい」。今の生活は「地べたに近い」生活で、まちで何が起こっているかが見えやすいという。路地はそれぞれの家の私有地で、自分の家に行くのに他人の家の土地を通らないといけない。だから、お互いさまだし、みんなが路地の維持管理をしなければならないので、「みんなでまちをつくっている感がある」という。

真銅さんの家の前の路地には、真ん中に木が生えているベンチがある。そんなことができるのも、自宅の土地の路地ならではだ。そのベンチでは、小学生がゲームをしていたり、外国人がパンをほおばっていたり。「石畳にするぐらい、できる。そういうのも『まちをなおす』ことにつながるのでは」

簡単なことは本当は自分でできるし、なおせる。「素材やものづくりから人々が離れてしまっている。使いやすい、便利、簡単、の消費文化で、わからないことが多くて、捨てるか建て替えるかの0か100になってしまった」。自分の住んでいるところぐらいは、なおしていきたい。そんな意識が育つといいと思っている。(敬)写真:佐藤敬

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