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2021年12月号 vol.77

古地図で辿る大久保利通、最期のルート「紀尾井坂の変」(東京坂道ゆるラン)

2021年12月22日 00:16 by Takako-Oikawa
2021年12月22日 00:16 by Takako-Oikawa

明治初期の地図を眺めていて、ふと、目に入った「大久保邸」。
明治維新立役者の一人、内務卿・大久保利通邸は、潮見坂、三年坂を登りきった辺り、三年町裏霞が関にありました。

古地図:明治9-17年(1876-84年)5千分の1東京図測量原図より大久保邸 古地図:明治9-17年(1876-84年)5千分の1東京図測量原図より大久保邸。

三年町の名は三年坂に由来し、この坂で転んだものは三年以内に死すと云う怖い坂щ(゚Д゚щ)。
大久保利通は転んだことがあったのでしょうか?

三年坂 財務省と文化科学省の間の坂、三年坂 潮見坂 潮見坂

明治十一年(1878年)、邸宅から赤坂仮御所に向かう途中、清水谷の紀尾井坂下付近でテロに遭い、命を落とします。
世に云う「紀尾井坂の変」。「紀尾井坂事件」「大久保利通暗殺事件」とも云います。

皇居の火事が起きなかったら。

紀尾井坂の変が起きる5年前、明治六年(1873年)5月5日、皇居が焼失し、明治十一年頃、明治天皇は赤坂仮御所にお移りになられていました。火事が起きる前なら大久保利通は、桜田門から皇居に入ったはずです。

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※この記事は「東京坂道ゆるラン」に掲載されたものです。

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