JIBUNマガジン

2020年12月号 vol.65

新しい「雑司が谷公園」で再スタート/「ぞうしがやプレーパーク」

2020年12月15日 01:08 by inaba_yoko

雑司が谷公園で、「ぞうしがやプレーパーク」が、2020年9月に始まった。雑司が谷公園が4月にオープンすると同時に、ぞうしがやプレーパークも新しい公園を拠点とし、新たな幕開けを迎えることになっていた。ところが、公園の開園はコロナ禍で6月まで延期となり、プレーパークも延期、さらに天候により3か月延びて、9月27日にやっと初回を迎えた。

その朝。広々とした芝生の公園の上に、青空が広がり、遠くに池袋のビル群がくっきり見える。公園内では広々とした芝生の上で、子どもたちが思い思いに遊んでいる。ベーゴマで遊ぶ子、テントを組み立てている子、小山で土手滑りに興じる子、大きなシャボン玉づくりに挑戦している子、芝生に座って紙芝居に見入る子。何もせず、芝生に寝転んで空を見ている親子さまざま、特に決まったプログラムはなく、なんでもありの空間のようだ。一緒に遊ぶ大人もいれば、子どもたちが遊ぶ様子を楽しげに見ている大人もいる。

3年ほど前から「ぞうしがやプレーパーク」の活動を続けている、佐分(さぶり)希久子さんに、プレーパークとの出会い、新しい公園での活動についてお話を伺った。

(※プレーパークとは=もともとデンマークで生まれた活動で、立派な遊具を備えた公園づくりに携わっていた造園家が、公園の隣の廃材が置かれた空き地の方で、子どもたちが楽しそうに遊んでいるのを見て、子どもは自ら遊びを作ることが何より好きということを発見。おぜん立てした遊び場ではなく子どもが遊びを生み出せる環境をつくろうと考えた。日本では1970年代にプレーパークの理念が伝わり、東京都の世田谷区で市民活動としてスタートした。「JIBUNマガジン」2019年9月号より)

ビル群を背にして、公園内にあるテラスハウスの土庇の下での会見。佐分さんがプレーパークと出会ったのはいつ頃だったのか。

「子どもの保育園をさがしで、あちこち見学していたときに、プレーパークの理念を取り入れている園があったんですよ。子どもが徹底的に遊びこむことを重視していて、園庭も山ができたり、川ができたり、小屋ができたり、毎日様子が変わっていく。『いいな』と思ったんですが、そこの保育園には残念ながら入れなくって」。

豊島区には池袋本町、文京区には六義公園のプレーパークがあるが、子どもが普段気軽に行くには遠い。ちょうど雑司が谷の小学校の跡地を公園にする計画があったので、「新公園でぜひプレーパークを!」と、公園の検討会に加わった。今から4年ほど前、佐分さんのお子さんが、1歳すぎのころだ。しかし雑司が谷に長く住む方々によって、跡地活用の具体案が提言される中で、居住歴の浅い佐分さんは気後れし、検討会から足が遠ざかった時期もあったという。フルタイムで働く佐分さんには、家族との時間を優先したい週末を中心に開催される検討会への参加は、常に容易だったわけではなかったという。

転機となったのは、検討会のコーディネーターの方から言われた、「誰も反対している人はいませんよ。」という言葉。賛同する人がいないから無理だと思っていたが、「反対する人がいないのは、チャンスじゃない?」と発想が逆転。もうちょっと勉強しようと他のプレーパークを見に行ったり、研修を受けたりしたという。

出会いにも恵まれた。「ちょうどそのころ、豊島区で子どもに関わるさまざまな活動をされている栗林知絵子さんが懇親会をされて、そこで、豊島区役所の子ども課課長の副島さんと出会いました。雑司が谷出身の副島さんは児童館での経験も長く、プレーパークにも理解があり、区からのサポートをスムーズに得ることができました」。この懇親会では、今も一緒にぞうしがやプレーパークをやっている、浜野和雄さんとの出会いもあった。

研修で知り合った各地のプレーパークを始めている先輩たちに、「まずは、身近なちょっとしたことから始めてみるといいんじゃない?」と肩を押され、工事に入る直前の雑司が谷公園で初めての遊びの会を開催したのが2017年秋。以来、月1回のペースで開催を続けている。

最初は声をかけた友達数人と、通りすがりの人のささやかな会だったが、回を重ねるにつれ、楽しみにしてくれる人達も増えた。雑司が谷公園の工事中は、地元の子どもたちからラクダ公園と親しまれる都電沿いの、崖の上の南池袋第二公園で開催。都心の決して広いとはいえない公園で、郊外の森の広い公園でのようなダイナミックなことは難しい。しかし区や消防の協力を得て、かまどを使った遊びをしたり、身近な素材で自由工作をしたり、狭いなりに工夫を重ねてきた。子どもたちの自由な発想から生まれるあそびや、チャレンジしたい気持ちに寄り添いながら、活動を重ねること約2年間。新生雑司が谷公園での開催はコロナと天気で半年遅れてしまったが新スタートを切れた。

芝生では、プレイワーカーの「ハッチ」こと早川七海さんが、子どもたちと走り回っていた。プレイワーカーとは、子どものあそび環境を整える専門職。子どもの好奇心を刺激するような素材や遊びのきっかけを用意し、皆が安心して遊べる場所作りをするプロだ。ハッチは、世田谷のプレーパークで働いていたが、その後フリーランスとなり、今年度から、ぞうしがやプレーパークにやってきた。プレイリーダーのだいご味は、「子どもたちがやりたいことをやっている姿の近くにいられること」と話す。

ランドさんこと、浜野和雄さんが段ボールで子どもたちと遊んでいる。宝飾デザイナーの浜野さんは、仕事の空き時間に、肩書を「カエルーランドのランド兄さん カエルー戦略コンサルタント」と名乗って、小学校や幼稚園で生き物の観察教室や工作教室のボランティアを行っている。名前の由来は、カエルをはじめ、蚕、鈴虫、ザリガニを家で飼っていることから。プレーパークにも生き物を時々連れてくる。

浜野さんの活動の原点は、自宅前で子どもと話していたら、怪しいおじさんに思われたことがあり、どうせなら積極的にかかわろうと思ったことだという。子どもたちにとっては「おもしろいおじさん」。子どもの成長過程では、心を広げるようなおもしろい大人との出会いは貴重なものだ。

この日は、豊島区在住の画家、井上ヤスミチさんが、「風車づくり」を担当していた。朝の開始から親子がいっぱい、紙コップとストローを使って、思い思いの風車を作っていた。終了時間がすぎても、子どもたちがひっきりなしにコーナーを訪ねてきていた。

佐分さんがこの先にかける思いはどんなものだろうか。

「ぞうしがやプレーパークは、長く地域に住み、地元の公園づくり、街づくりに熱心に取り組む方々や、区役所の方々とうまくつながることができ、とてもスムーズにここまで来ることができました。他のプレーパークの方々の話を聞いていると、ご近所の方の理解・協力を得ることが、一番課題のようです。そういう意味では、私たちはとてもラッキーでした。一方で他のプレーパークでは、子どものあそびに関心のある現役子育て中の保護者が中心となって、運営していることが多いのですが、私は居住歴が浅く、フルタイムで働いていることもあって、地元で、関心のある保護者とつながっていく機会がどうしても少なくて、一緒に運営にかかわってくれる仲間を増やしていくのが一番の課題です」

佐分さんは法律事務所で働いているという。「今回、開催場所が、新生雑司が谷公園に移ったことで、さらにいろいろな色々な方が来てくれることになりました。参加者のすそ野が広がっていけば、自然に一緒にやりたいという方も増えてくるかもしれない」という。

あまり先のことは気にせずに、楽しくやれることをやっていくうちに、プレーパークにかかわってみたいと思う人がだんだん増えていったらいいなと思っている。(稲葉洋子)

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