JIBUNマガジン 文京区

2024年04月号 vol.105

「金栗四三」に関連する記事

走れ!いだてん/「最後のゴール」

オリンピック・パリ大会に惨敗、現役を引退した金栗四三は東京女子師範学校から母校にもハリマヤにも近い大塚の東京高等女子師範学校(現・御茶ノ水女子大学)に移るも、かわらずにスポーツ振…

  いいね!   Takako-Oikawa Takako-Oikawa from 2020年04月号 vol.57

走れ!いだてん/「金栗足袋からカナグリ・シューズへ」

ストックホルム、アントワープ、パリと三度のオリンピックを足袋で挑み、そして散っていった金栗四三。 現役引退後の心残りは辛作さんの作った「金栗足袋」で世界に勝てなかったこと。ハリ…

  いいね!   Takako-Oikawa Takako-Oikawa from 2020年03月号 vol.56

走れ!いだてん/「パリに沈む日」

大正十三年、関東大震災の翌年、帝都・東京のあちこちで復興の槌音が聞こえてきます。東京朝日新聞より。大正十三年(1924年)四月二十七日、金栗四三らオリンピック選手団は神戸港から「…

  いいね!   Takako-Oikawa Takako-Oikawa from 2020年02月号 vol.55

走れ!いだてん/「震災からパリへ」

大正十二年(1923年)九月一日午前11時58分32秒、帝都・東京、横浜など首都圏の地が大きく揺れます。 関東大震災の発生です。地震発生の時刻で止まってしまった一ツ橋・中央気象台…

  いいね!   Takako-Oikawa Takako-Oikawa from 2020年1月号 vol.54

走れ!いだてん/「アントワープの微笑み」

大正九年(1920年)五月十四日、十三名の選手、役員二名の(庭球の二人と嘉納治五郎団長はアメリカで合流)オリンピック日本選手団はコレア丸(Korea丸)に乗り、横浜港を出港。アメ…

  いいね!   Takako-Oikawa Takako-Oikawa from 2019年11月号 vol.52

走れ!いだてん/金栗四三「消えたベルリンへの道」

ストックホルム・オリンピック後、嘉納治五郎は、落ち込む二選手にこう声をかけます。「みんな落胆してはいけない。私自身、君たちに勝って貰いたいとはツユほども思っていなかったし、結果は…

  いいね!   Takako-Oikawa Takako-Oikawa from 2019年07月号 vol.48

走れ!いだてん/金栗四三「マラソン足袋の第一歩、黎明の鐘」

黒坂辛作は明治十四年(1881年)の兵庫生まれ。足袋作りの修行をして二十一歳の時、東京で一旗揚げようと上京。明治三十五年(1902年)小石川区大塚仲町十番地に足袋店を開業。屋号は…

  いいね!   Takako-Oikawa Takako-Oikawa from 2019年05月号 vol.46

走れ!いだてん/金栗四三「驚異の世界新記録!オリンピック予選会」

東京羽田国際空港。かつてここで陸上の世界記録が生まれたなどとは、誰も信じることが出来ないでしょう。 羽田競技場明治四十四(1911年)嘉納治五郎は大日本体育協会を組織し、第5回近…

  いいね!   Takako-Oikawa Takako-Oikawa from 2019年04月号 vol.45

走れ!いだてん/金栗四三「徒歩部時代」

体育を奨励する東京高等師範学校(現・筑波大学)の運動会は絵葉書が印刷されるほど、スポーツを楽しむことなど知らなかった明治の人にとって、運動会は珍しいものでした。校長・嘉納治五郎の…

  いいね!   Takako-Oikawa Takako-Oikawa from 2019年03月号 vol.44

文京区の名坂/走れ!いだてん/金栗四三のランニングコース「御茶ノ水〜大塚」

明治四十三年(1910年)十九才の金栗四三は東京高等師範学校(現・筑波大学)に入学します。この頃、嘉納治五郎が校長をつとめる東京高等師範学校は大塚窪町(現・文京区大塚三丁目)に移…

  いいね!   Takako-Oikawa Takako-Oikawa from 2019年02月号 vol.43

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節分の豆まきは今年は4年ぶりというところが多かったようです。節分、立春といえど…

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2024年が明けました。今年もよろしくお願いします。クリスマスもお正月も終わっ…