2023年02月号 vol.91
梅の花が見ごろを迎えています。湯島天神、牛天神(北野神社)、小石川植物園、小石…
オリンピック・パリ大会に惨敗、現役を引退した金栗四三は東京女子師範学校から母校にもハリマヤにも近い大塚の東京高等女子師範学校(現・御茶ノ水女子大学)に移るも、かわらずにスポーツ振…
0 いいね!ストックホルム、アントワープ、パリと三度のオリンピックを足袋で挑み、そして散っていった金栗四三。 現役引退後の心残りは辛作さんの作った「金栗足袋」で世界に勝てなかったこと。ハリ…
0 いいね!大正十三年、関東大震災の翌年、帝都・東京のあちこちで復興の槌音が聞こえてきます。東京朝日新聞より。大正十三年(1924年)四月二十七日、金栗四三らオリンピック選手団は神戸港から「…
0 いいね!大正十二年(1923年)九月一日午前11時58分32秒、帝都・東京、横浜など首都圏の地が大きく揺れます。 関東大震災の発生です。地震発生の時刻で止まってしまった一ツ橋・中央気象台…
0 いいね!「きっとドイツは蘇る、このご婦人たちの明るさがある限り……」 オリンピック・アントワープ大会後、第一次世界大戦の敗戦国であるドイツを視察した金栗四三は、スポーツに興じるドイツ女…
0 いいね!大正九年(1920年)五月十四日、十三名の選手、役員二名の(庭球の二人と嘉納治五郎団長はアメリカで合流)オリンピック日本選手団はコレア丸(Korea丸)に乗り、横浜港を出港。アメ…
0 いいね!金栗四三と播磨屋の足袋職人・黒坂辛作は二人三脚でマラソン用足袋の研究開発をすすめ、ゴム底、靴ヒモの画期的な足袋を完成させます。大正八年(1919年)八月、金栗四三は秋葉裕之ととも…
0 いいね!大手町・読売新聞東京本社前には「絆」像と箱根駅伝歴代優勝校のパネル。大正九年・第一回大会の優勝は金栗四三の母校・東京高等師範学校。ここには数々のドラマが秘められています。 雑談か…
0 いいね!ベルリン・オリンピックの中止が決まり、大正五年(1916年)五月、金栗四三は熊本県菊池で徴兵検査を受けます。結果は第一乙種で兵役免除、軍隊入りは見送りとなります。 誰が見ても頑…
0 いいね!ストックホルム・オリンピック後、嘉納治五郎は、落ち込む二選手にこう声をかけます。「みんな落胆してはいけない。私自身、君たちに勝って貰いたいとはツユほども思っていなかったし、結果は…
0 いいね!播磨屋の足袋職人・黒坂辛作は底を二重に補強した足袋二十足を、金栗四三に持たせます。「播磨屋の足袋でオリンピックに負けたなんてぇ言われたら困るからなあ」後援会、仲間たちが奔走。寄付…
0 いいね!黒坂辛作は明治十四年(1881年)の兵庫生まれ。足袋作りの修行をして二十一歳の時、東京で一旗揚げようと上京。明治三十五年(1902年)小石川区大塚仲町十番地に足袋店を開業。屋号は…
0 いいね!東京羽田国際空港。かつてここで陸上の世界記録が生まれたなどとは、誰も信じることが出来ないでしょう。 羽田競技場明治四十四(1911年)嘉納治五郎は大日本体育協会を組織し、第5回近…
0 いいね!体育を奨励する東京高等師範学校(現・筑波大学)の運動会は絵葉書が印刷されるほど、スポーツを楽しむことなど知らなかった明治の人にとって、運動会は珍しいものでした。校長・嘉納治五郎の…
0 いいね!明治四十三年(1910年)十九才の金栗四三は東京高等師範学校(現・筑波大学)に入学します。この頃、嘉納治五郎が校長をつとめる東京高等師範学校は大塚窪町(現・文京区大塚三丁目)に移…
0 いいね!梅の花が見ごろを迎えています。湯島天神、牛天神(北野神社)、小石川植物園、小石…
お正月気分も終わり、2023年が本格的に始動。冬らしい寒波が繰り返し襲ってきて…
あれ、街路樹に椿?と思ったら、どうやら山茶花(さざんか)らしい。「さざんかさざ…