JIBUNマガジン

2015年11月号 vol.4

【まち】明治の「動物事件」を根津周辺で追う!路上観察家・林丈二さんとまち歩き

2015年11月09日 23:04 by Takako-Oikawa
 「このあたりですね。貸座敷に現れた狐が打ち殺された場所は」「虫屋が焼けたのはこのへんかな」。路上観察家・林丈二さんの解説にうなずきながら、ぶらぶらとまちを歩く。しっとりした秋の休日、根津周辺で100年前に起きた事件の中で、動物に関するものにスポットを当て、ゆかりの地を訪ねる「根津周辺、明治の動物事件現場探訪」が開かれた。
 
 

 林さんの新聞コレクションから、100年前の根津界隈の出来事をピックアップして、新聞ならぬ旧聞として発行している「本郷旧聞日報」のほぼ100号記念イベント。発行者は根津藍染町の長屋を活用した地域サロン「アイソメ」だ。この日はアイソメで概要を聞いてからまちに繰り出した。林さんには「東京を騒がせた動物たち」の著書があり、一度動物を切り口にしたまち歩きをしてみたかったという。
 
 

 根津神社に近い不忍通り一帯は、かつて遊郭だったという。シジミやドジョウ、ウナギが取れたという藍染川が流れ、周辺は田園地帯だったが、明治・大正期に染物屋が立ち並び、川が汚れるようになったそうだ。千駄木近辺はうっそうとした森が広がって人が住んでいないところで、土がいつもじめっとしている場所だったとか。明治34年1月現在、牧場も5カ所ほどあった。「旧帝大のお抱え外国人用に牛乳を生産するためだったのでは」と林さん。牛乳店もあちこちにあり、アイソメももとは牛乳店だった。また、湿ってぬかるんだ道を避け、千駄木方面へは、現在の日本医大から団子坂上に抜ける「藪下通り」を通るのが一般的だったという。
 

 林さんの資料によれば、明治9年の「東京曙新聞」には、根津の貸座敷(遊郭)で石屋が遊んでいる最中に狐が飛び込んできたため、打ち殺された、という記事が載っており、「馬鹿な狐だから化けようをしらないのかもしれません」と締めくくられている。ほか、「絵入自由新聞」には、貸座敷の軒にかけてあった釣りランプが風で虫の荷の上に落ち、丸焼けになった、という記事、読売新聞には、水害のあと、庶民の娘がスッポンを捕らえて売ろうとしたところ、貸座敷の主人が「二円五十銭にて買い、放してやりました」など、ユーモアを交えた記事がある。「明治の人は虫を飼うなんて、風流でしたねえ」
 
(林丈二さん)
 
 こうした「事件」を思い浮かべながらまちを歩き、「タヌキが鯉をくわえて逃げる」事件があった根津神社に来ると、楼門の上でカラスがアオサギにちょっかいを出している場面に遭遇。平成の動物の「事件」を見学したあと、まち歩き隊は藪下通りへ向かった。「一葉と妹が明治27年6月4日にここを歩いているんですよ」と林さん。
 
 
(緑濃き千駄木ふれあいの杜) 

 上野から百羽ほどのカラスが襲って来たという「カラス合戦」の記事の舞台は、太田道灌の子孫の屋敷があったという広大な土地「太田の原」。現在は崖線緑地「千駄木ふれあいの杜」にその名残が見られる。うっそうと茂った森に、参加者は「空一面に散乱して戦い合う」カラス合戦を思い浮かべていた。
 


 道すがら、「ほほう、漢字で瓦斯とあるマンホールは珍しい」「この文様は文京区ならではなんですよ」などと、「マンホールのふた」の著書もある林さんらしい路上観察も。門の洋風の意匠や道端の看板などにも注意を払いつつのまち歩きだった。

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