JIBUNマガジン 文京区

2022年06月号 vol.83

人形劇と紙芝居の魅力を子どもたちへ、世界へ/「池袋いけいけ人形劇まつり」実行委員長・荒木文子さん

2022年06月15日 09:59 by inaba_yoko

 「今ね、『荒木文子さん』と紹介されたけど、私はBun(ぶん)ちゃんです」。雑司ヶ谷公園の「ぞうしがやプレーパーク」で、荒木文子さんが紙芝居の舞台の横に立って語りかけると、子どもたちは釘付けだ。「このかみしばいは、私が作ったの」。Bunちゃんが、「まんまるまんまたんたかたん」(荒木文子作、童心社刊)を演じ始める。明るく軽快で親しみやすく、絵や文が舞台から飛び出るように動き出し、子どもたちを巻き込みながら進んでいく。その様子に惹かれて、どんどん子どもたちが集まってきた。2作品読んだあと、終わりを告げられると、残念がる子どもたちは、「もっと聞きたい!」「もう一つ読んで!」と熱く叫ぶ。

 終了後、小学校低学年の少年が、お母さんの腕をぐいぐい引っ張って、Bunちゃんの前にやってきた。「ぼく絵本作家になりたいのです。何をすればいいですか?」。真剣だ。

「書き続けることが大事。自分の世界を、書きたいことを守って、人の言うこともよく聞いて、けっしてあきらめないこと!わたしも、何回書いても全然出版にならないことの方が多かった。いまでもそうだけど、いつかは報われる。続けていればチャンスは必ず訪れるからそのチャンスはのがさないで!」

少年は、大きくしっかり頷いてお母さんお父さんと帰っていく。

 荒木さんは、「池袋いけいけ人形劇まつり」の実行委員長を務める。1988年から毎年、家族そろって楽しめる人形劇のおまつりとして定着し、今年で36回目。プロアマ一緒の関東最大の人形劇まつりだ。荒木さんは初回から中心的にかかわり、実行委員長は30回目から務める。文化活動への尽力により、豊島区の特任大使に任命されている。

 今年は5月4日、南大塚地域文化創造館で開かれた。いくつかの部屋に分かれて、人形劇やパネルシアター、手作りワークショップ、人形劇のグッズ販売などを行う。部屋ごとのプログラムは各プロデューサーを中心に企画され、演目の間に遊びやクイズを組み入れながら楽しく進められる。かつて観客はプログラムを片手にいろいろな部屋を渡り歩き、ギューギュー詰めの人垣の間から首を伸ばしてでも観たものだが、コロナ禍で人数制限があり、そうはいかない。荒木さんは、ずっとコロン団という人形劇団を主宰していて、この日もコロン団の人形劇が上演されて、観客はぐいぐい引き込まれていた。

 大学の人形劇サークルからの出演も多い。「学生たちを育てていこうしているの」と荒木さん。「いっぱい参加してもらって、この先も人形劇をやって楽しんでいこうね」というメッセージが込められている。大学の人形劇サークルはだんだん減っていて、活動自体忘れられていることもある。「今、人形劇界も人が減ってる。コロナで仕事がなくなっていたりして。子どもの文化にかかわっている人たちは大変な思いをしていると思う。でも やめようなんて誰も言ってないからすごい!」と荒木さんは語る。

 荒木さんは大学でサークルに入ろうと思い、どこにしようかと探していたら、ふと「人形劇じろべえ」という看板が目に入ったという。その時、自分が小学校5年生のとき人形劇をやっていたことを思い出した。荒木さんは当時、あまり積極的な方ではなく「先生が、『文子ちゃん、人形劇クラブに入りなさい』って」。人形劇の中で狼とかいろいろやって、「初めて自信を持つことができるようになった」という。

 「人形劇じろべえ」は実は、人形劇ではなく奉仕活動のサークルだった。ところが看板に誘われて、荒木さんを含め1年生が3人、人形劇をやりたくてサークルに入った。「こりゃ大変、人形劇をやらなきゃと、先輩たちはあわてたのよ」と荒木さんは笑う。そこから人形劇が本格的に始まった。「声を出さなきゃいけないので、腹筋しながら発声練習したり、人形作ったり」。おもしろい人たちがいっぱいいた。先輩は男ばかりだったが、同期や後輩もできて、今でも1年に1回OB会を開いているという。「私たちの代からちゃんとした人形劇のサークルになった」と、荒木さんは笑いながら胸を張る。

 「人形劇じろべえ」がきっかけで、子どもに向けての仕事をしていきたいと思ったという。すぐに仕事にはできず、大学卒業後、昼は会社勤めをし、夜は目白にある「子どもの文化研究所」で、人形劇研究家、加藤暁子さんの講座に参加して勉強した。子どもの文化研究所は、子どもの文化と教育に関するさまざまな分野の人が集い、交流し、市場の原理では果たせない、子どもの立場に立った実践と研究を発信する会だ。並行して、声優で紙芝居の実演家の右手(うて)和子さんの講座にも参加する。「私は茨城県の出身で、イントネーションもアクセントも茨城県。勉強になるから紙芝居もやってみようかな」と思ったという。人形劇のために、紙芝居の勉強を始めた。「講座の先生が、右手さんでなかったら、人形劇だけやってたかもしれないな」。それほど右手さんの紙芝居は素晴らしかった。

 加藤暁子さんの講座卒業生で「にんぎょうげきコロン団」を作り、紙芝居を一緒に勉強していた人たちと「ひょうしぎ」という会も作った。その間にプーク人形劇場で「アマチュア人形劇フェスティバル」を10年やった。プークで、今「いけいけ」や「飯田人形劇まつり」で一緒に活躍している、和気瑞江さんにも出会った。「アマフェス」が30歳のときに終わり、会社も辞めた。「アマフェスは学生も多く、飲みに行くなどで結構お金が要ったのよ。『あーよかった。もうお金を使う必要がない』と思って、OLやめたの」と笑う。

 その後、子どもの文化研究所でアルバイトをしながら人形劇をやっていて、34歳で1冊目の本を出す。「フレーベル館の保育教育シリーズで、『人形劇あそび』っていう本でね、それでなんとか少しずつ仕事も増えてね。それがずーっと今でも続いているわけだね」と荒木さん。「起源は小学校。先生が、ひよひよしている私に人形劇やらないかと声をかけてくれなかったら。加藤暁子先生、右手和子先生、紙芝居作家の堀尾青史先生のような人に出会っていなかったら。人形劇や紙芝居は好きになっていなかったかもしれない。人との出会いに恵まれたと思う」と振り返る。「好きなことをやれるっていうのは、いいですね。」

 今は、専門学校や大学の非常勤講師もして、依頼があれば紙芝居や人形劇やパネルシアターを、どこにでも上演にいくという。「全国紙芝居まつり」本部委員、「NPO法人語りネットワーク」理事も務める。「最近は、金町にできた『こころみ亭』というスペースやプーク人形劇場で、講座をやったり語りと紙芝居の会をやったり、忙しくやってますね」

 「むかし、『全国紙芝居まつり』を文京区でやったことがある。あちこちの図書館で紙芝居をやって、宿泊は、川端康成が逗留していたという本郷の老舗旅館、鳳明館森川別館。またやってもいいのよね」。世界の人たちと紙芝居でつながる活動もしている。「日本にも世界の紙芝居を紹介したいし、日本にもおもしろい紙芝居いっぱいあるんだよって、海外の人に知らせたい」という。「『ミニミニいけいけ人形劇まつり』を文京でやらない? 子ども向けのイベントはどんどんやっていかないとねえ」。私に強い謎かけをするような視線を送ってきた。思わず「よし、やろう」と思った。(稲葉洋子)

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