享保七年(1722年)一月二十一日、和田倉門外、辰ノ口の評定所前に設置された目安箱に訴状を投げ込む一人の男がいます。
享保御江戸図より御評定所。 目安箱と吉宗公。八代将軍吉宗公は数ある訴状を吟味するうちに施薬院設置に関する訴状に目を見張り、御用取次・有馬氏倫にこう告げます。
「この訴状の小川笙船なるものを召し出し詳しい話を訊き、直ちに検討せよ」
小川笙船なる男
小川家のルーツは豊臣秀吉に仕え伊予国今治(現・愛媛県)に七万石を与えられた大名。関ヶ原で西軍についたのが運の尽き。子孫は没落し、いつの頃か町医者を稼業としています。
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