JIBUNマガジン

2020年1月号 vol.54

Wの育児日記②「することしなきゃ、できないよ」。不妊治療の医師が言った

2020年01月12日 18:27 by Takako-Oikawa

 こどもを授かることを意識してから数週間後のことだったと思います。妻から携帯にメールが来ました。

 「今度、この病院に一緒に来てほしいのだけれど、いつがいい?」

 不妊治療の病院でした。インターネットで場所を確認すると、病院はターミナル駅から程近い雑居ビルにありました。

 夕方、病院の近くで待ち合せをしました。その日は風がとても強い冬の日でした。日が陰り、徐々に夜の雰囲気を周囲は醸し出していました。雑居ビルの近くは、歓楽街のせいかネオンがピカピカ。不妊治療の病院の場所とのコントラストが妙に印象的な場所でした。

 エレベーターで妻と上がると雑居ビルの雰囲気とは違うなんだか柔和な感じの色合いの外観がありました。予約診療なのせいか、他の患者さんと会うことはありませんでした。絞った音から流れるクラシック、雑誌が置かれているところには不妊治療や育児雑誌に関するものが並び、男性が手に取りにくい雰囲気がありました。

 「○○さん!」と診察室から妻の名前が呼ばれました。

 入ると狭い診察室に男性医師と看護師がいました。あいさつも程々に男性医師が切り出しました。

 「なに、こどもがほしいの?」

 「することしなきゃ、できないよ」

 無表情で言い放つ雰囲気にあっけにとられてしまい、妻も私も返す言葉も見つかりませんでした。

 医師は何やら机の上にあった「家訓」のような標語が書かれた紙をまずは読むように促しました。そしてこう言い放ちました。

 「(診察に関する)質問とか、僕は受けないのがポリシーだから」

 「言うとおりにしてもらうよ。それでもよければ、また来て」

 「診察」時間はわずか数分だったはずですが、なんだかとても長い時間、僕たちは医師と向き合った感じでした。診察があったわけですから、診察料を当然に支払いました。

 私は知らなかったのですが、不妊治療の病院(少なくとも私たちが通った病院ではですが)ではいわゆる自由診療のために保険適用にはならない診察も多くあります。そのため、いくらかかるのかが何となくわかるような、わからない印象でした。

 雑居ビルのエレベーターを下りました。何の言葉もお互いの口から出ませんでした。

 外の風は冷たく、頬をさす感じでした。妻は「一人で帰るから、仕事に戻って大丈夫だよ」と言いました。私は「大丈夫?」と言いましたが、妻は泣いていました。交差点でしゃがみ込んでしまう始末。とても一人で家に帰れそうにはありませんでした。

 「一緒に帰ろう」

 タクシーを捕まえて乗りました。妻はしゃくりあげて泣くばかり。私は「他の病院を探そう」といったことを覚えています。その日の夕飯は食べたのか食べなかったのかすら覚えていませんが、とても疲れたことは手帳に書いてありました。

 後になって聞いたのですが、なぜあの病院だったのかと聞くと、通院しやすい距離にあったからだったそうです。たまたま、通院しやすい距離にある病院との相性が合えばいいですが、合わない場合を想像するとどうなっていたのか。相性があったところで「結果」が伴わないならば何らの意味もありません。

 もう一度ゼロから病院探しから始めることになりました。模索する日々がスタートしました。

※不妊治療で子どもを授かった40代の会社員男性が育児のあれこれをつづります

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