金栗四三と播磨屋の足袋職人・黒坂辛作は二人三脚でマラソン用足袋の研究開発をすすめ、ゴム底、靴ヒモの画期的な足袋を完成させます。
大正八年(1919年)八月、金栗四三は秋葉裕之とともに下関〜東京20日間1200キロ走破に成功。このとき、金栗は足を痛めることもなく、たった一足の足袋で走りきっています。
辛作は、この足袋を「金栗足袋」と命名。
辛作は金栗に一筆書きます。
「金栗さんの名を辱めることのないように、決して商品製造に手をぬかず、精進致します」
金栗は、微笑み、こころよく、これを認めます。
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