JIBUNマガジン 文京区

2017年10月号 vol.27

【まち】知ってる?作曲家いずみたくがつくった「ふるさと谷中音頭」

2017年10月08日 22:53 by inaba_yoko
2017年10月08日 22:53 by inaba_yoko

(いずみたく)

 

 ちょっと季節はずれですが、盆踊りが大流行してますね。盆踊り大好き、という人の手帳を見せていただくと、スケジュールのページは夏場の盆踊りの予定で真っ黒になっている。

多くの盆踊りの会場で、炭坑節などの定番の曲だけではなく、ご当地盆踊りが流れる。盆太鼓を叩く人、櫓の上で踊る人、地上の輪の中で踊る人、その地域の小さい子どもたちからお年寄りまで大勢がその曲に馴染んでいるようだ。

 

(諏訪神社)

 

今年(2017年)の7月31日、荒川区西日暮里3丁目の諏方神社で盆踊り大会をのぞいたとき、ちょうど「次は、ふるさと谷中音頭。ミュージカル劇団イッツフォーリーズのメンバーが出演します」というアナウンスがあった。

「ふるさと谷中音頭?イッツフォーリーズって、『見上げてごらん夜の星を』や『俺たちは天使じゃない』を上演した、あのミュージカル劇団?」

終了後、フォーリーズのメンバーを探し回り、見つけた(!)ところで、少しお話をうかがう。

「ふるさと谷中音頭」は1987年に作曲家いずみたくさんが制作、その後埋もれていた時代もあったが、3年前に発掘された。時代に合わせた形の曲になって再出発、諏方神社の盆踊り、谷中まつり、谷中銀座の盆踊りでフォーリーズの俳優さんたちに上演されてきたそうだ。後日、いずみたくさんの甥御さんにあたる、安念透氏からお話しを聞かせていただくことになった。

 

(フォーリーズの俳優さんたち)

「ふるさと谷中音頭」を作った作曲家いずみたくってどんな人?

  「見上げてごらん夜の星を」(作詞 永六輔)歌=坂本九

  「手のひらを太陽に」(作詞 やなせたかし)

  「恋の季節」(作詞 岩谷時子)歌=ピンキーとキラーズ

  「いい湯だな」「筑波山麓混声合唱団」「女一人」など日本のうたシリーズ(作詞 永六輔)

  「ゲゲゲの鬼太郎」(作詞 水木しげる)

  「太陽がくれた季節」(作詞 山川啓介)歌=青い三角定規

  その他約1万5千曲を作曲

 

1930年1月20日、東京・日暮里に生まれる。

1955年朝日放送ホームソングコンクールにて、グランプリを受賞。三木鶏郎の冗談工房に所属し、野坂昭如、永六輔らと出会う。CM、映画、ラジオ、テレビの音楽を多数作曲し始める。1960年、永六輔とミュージカル「見上げてごらん夜の星を」を制作、以降、ミュージカルの製作に意欲を燃やす。63年株式会社オールスタッフプロダクションを設立、レコード大賞各賞を受賞。76年、六本木の自社ビル地下に作った「アトリエフォンティーヌ」が開館。77年、現ミュージカルカンパニーイッツフォーリーズ旗揚げ。88年ミュージカル「歌麿」にて、アメリカ公演。

89年参議院議員当選。92年5月11日永眠。62歳。

 

取材に伺わせていただいた、いずみたくさんのご実家は、今でも荒川区西日暮里3丁目諏訪台にある。「恋の季節」で大ヒットしたピンキーとキラーズの今陽子さんも下宿していたというお宅は路地を入ったところにあり、下町の雰囲気溢れる閑静な住宅が並ぶ、その一角にある。

 

 

 取材には、株式会社オールスタッフ・ミュージカルカンパニーイッツフォーリーズの取締役・プロデューサーである安念透さんと、透さんの父で元社長の安念勉さんが応じてくださった。

 

勉さんはいずみさんの義弟で、透さんは甥にあたる。「いずみが亡くなったあと、会社をあげていずみが作った作品を守り、普及に努めてきました」と透さんは言う。なにしろ1万5千曲に及ぶ作品だ。

透さん自身は、この家で育ち、地域の小学校から、立教中学高校、大学へと進み、卒業後すぐに音楽制作の仕事を始める。伯父のいずみたく氏により「音楽をやったら?」と声をかけられたのがきっかけ。子どものころからいずみさんと仲がよくて、夏は一緒にヨットのクルージングに頻繁に出かけていたそうだ。

まずは修行のためオールスタッフの卒業生が経営するCM音楽制作の会社に入社する。そこで8年間、30歳まで仕事をしていたが、いずみたくさんが亡くなられた翌年1993年オールスタッフに戻った。「いずみの1万5千という数の曲を管理し、新しい形にして再提案していくのがライフワーク」と透さんは胸を張る。

 

(安念透さん)

(安念勉さん)

 30年前に作られたときはザ・盆踊りの曲だったが…

 安念さんもそうだが、いずみたくさんは忙しくてなかなか日暮里の実家に来ることはなかったというが、近くの諏方神社のお祭りと正月の初詣は欠かしたことがなかった。

 そんな中で「ふるさと谷中音頭」は生まれた。30年前に作られたときは、いわゆるトラディショナルな盆踊りの調子で作曲された。近年の発掘の後、再発信では「ふるさと谷中音頭」は、時代に合わせた新しいスタイルになっているが、どのようなスタイルが人々に楽しまれるのか、まだまだ研究中だそうだ。

 諏方神社の氏子は、荒川区西日暮里、台東区谷中、池之端にまで及ぶ。まだ、今の23区が確立する前までは、この地域の人にとっては荒川区西日暮里も台東区谷中も文京区千駄木も地続きで区別などなかった。今でも住所の表記は違っても、お祭りや年中行事では、社寺にはみな仲間として集う。だから「ふるさと谷中音頭」は、台東区谷中を特定するというより、このあたりのすべての地域が対象ととらえてよいと思う。

 この先、進化を続ける「ふるさと谷中音頭」がどんどん受け入れられ、地域に染みこんでいくのが楽しみだし、地域の一住民として、盛り上げていきたい。

 

作品を新しい形で再提案

「ふるさと谷中音頭」は、プロモーションビデオなど、もちろん、プロデューサー安念さんのもとにミュージカルカンパニーイッツフォーリーズの俳優さんが演奏・出演している。

ミュージカル劇団のさまざまな作品、ステージ制作を発展させていく動きの一環として、「ふるさと谷中音頭」も位置づけられる。

 イッツフォーリーズの事務所が麻布十番にあったときは、地下に、「アトリエフォンテーヌ」という小劇場を有していたが、移転先の蔵前にはまだ劇場はない。

建設の予定を伺ってみた。「劇場はほしいけど、作品をたくさん作るのが先です。もっと時間をかけて作品をつくる中で、若い俳優にも活躍の場を作りたいたいですね。若い人たちはほんとうに勢いがありますよ。若いメンバーに作品を一つ任せてみたい。劇場作りはその先にあります」と安念さんは語る。

イッツフォーリーズとしてミュージカル制作の他に、各地の祭りのステージプロデュースもやっている。今年は、合羽橋下町七夕まつり、麻布十番納涼まつり、ブクロ野音(池袋)などで、フォーリーズの役者によるパフォーマンス「Disco歌謡曲」「いずみたくメドレー2017」、「谷中音頭」などが祭りを盛り上げてきた。

 安念さんは再び力強く言う。「私の仕事は、いずみたくの作った楽曲を管理し、新しい形にして再提案していくことです」

 

(「青空の休暇」)

 最後に宣伝。「12月26日(火)、27日(水)に、北千住の『シアター1010』で、ミュージカルカンパニーイッツフォーリーズは、『青空の休暇』を上演します。ぜひ観てください」とのこと。

 

そういえば「アンパンマン」もいずみたくさんが作ったミュージカル。私事だがその昔、まだ小さい子どもたちに見せたくて、1人は手を引き、ひとりは背負って、新宿の厚生年金会館ホールの通路に座って(満席のため)、親も子も夢中になってそのミュージカルをみたことを思い出した。安念さんのお話を伺いながら、あのときのどきどきわくわく感がよみがえった。(稲葉洋子)

 

「ふるさと谷中音頭」

https://www.youtube.com/watch?v=4yVUtbYpVyU

歌=谷名寛二郎(写真)

 

 

「青空の休暇」

辻仁成の可笑しくも切ない愛と青春の物語を中嶋淳彦脚本、鵜山仁演出で2011年夏にイッツフォーリーズがミュージカル化。いずみたく作曲による「帰らざる日のために」を挿入歌に戦争で青春を失った男たちが、老いてもなお懸命にそして前向きに生きようとする姿を描くミュージカル。

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